まだ20歳代のころ、「地球の歩き方」を小脇に抱え、数ヶ月かけてヨーロッパ各国をひとりで放浪しました。ファッション・ブランドに興味はなく、ましてイルビゾンテの存在さえ知らなかったころのことです。
その途上、イタリアのフィレンツェ駅に降り立った私は、駅の目の前にあるジェラート屋のバナナアイスに痛く感動、「この街を飽きるほど堪能するまではフィレンツェを離れない!」と決意したのでした。
美術館めぐりもひととおり終えたある時、町外れの「革職人の工房」に心惹かれ、ふらふらと中に入りました。その瞬間、
「うわっ!やばっ!」
と思ったが、もう遅かった。もう引き返せない。
濃厚な牛革の官能的なアロマ〜にすっかりやられてしまった。
まだ放浪の旅は始まったばかり。買い物をすると、荷物がかさばる!高級品だと気も使う!お金もまだ無駄遣いするわけにはいかない!・・・でも、きっと私は、革製品が欲しい!という誘惑に打ち勝つことができないだろう、と観念したのだった・・・
ところで、私がそれまでに想像していた革工房って、安普請の町工場で、牛革や加工のツールがテーブルに所狭しと置かれ、足元には牛革の切れ端が散乱するなか、幾人もの職人さんがせわしなく機械的に手を動かしている・・・といったものでした。
でも、フィレンツェで立ち寄った工房は、歴史ある建物で美術館のように立派だったという印象があります。天井が高く広々として、職人さんひとりあたりのスペースも、それはそれは大きくゆったりとしていました。
照明が蛍光灯ではなく電球だったせいか、黄色い灯りがレトロ。細かい仕事をするにはちょっと暗すぎないかな?とちょっと心配しました。
私は「ハサミで革を切るところを見たいな」と思って、ひとりの職人さんを遠目から眺めていたのですが、30歳代に見えたその職人さんは、大きな大きなテーブルに置かれた一枚の革を、ときどき向きを変えつつ、真剣な顔つきでひたすらじっと見つめていました。
その姿は、ゆっくりじっくり時間をかけて素材の革と対話をしているかに見え、何だか侵しがたい雰囲気でした。
これって、もしかして観光客向けの営業デモンストレーション?・・・ではないですよね?
この工房には、完成した商品もさりげなく置かれていました。お客さんが興味を示せば、丁寧に説明をしてくれたけど、街中のお店とは違って、売ることにあまり熱心な感じではなかった気がします。
実は私、そういう売り方にめっぽう弱いんです!
あれこれ目移りしながら、ふと手に取ったヌメ革のお財布。
このときまで私は、ヌメ革を敬遠していました。西部劇の粗野なイメージが強かったのです。
でも、フィレンツェのこの革工房で、ヌメ革のやわらかくなめらかな肌触りにすっかり魅了され、手のひらに収まる小さなヌメ革の小銭入れをひとつ買い求めました。
この小銭入れは、貧乏旅行の道中、ときどき取り出しては眺め撫で回して楽しみました。安宿ばかり泊まり歩いていた私には、このささやかなリッチ感が嬉しかったものです。
あの工房は、イルビゾンテと関係がある工房なのかどうか、よくわかりません。もう場所も名前も忘れてしまいました。でも、このとき手に取ったヌメ革が、のちに私をイルビゾンテ・フリークへの道と導いた・・・これもまた運命か?
